大晦日

小さいころ、「どうしても初日の出が見たい!」とダダをこねていた私に、母が”初日の出”というものは、元旦にみる日の出のことであって、現象としてはいつみても同じものだと説明して、早朝に出かける面倒を見事に回避した。そのときに、私の中でなにかずっと特別感を抱いていたお正月の幻想がおおきく崩れたことを覚えている。お正月は、地球全体を巻き込む巨大な自然現象かなにかだと思っていたのに!

今思えば、我が家は、正月に対して割とドライで12月31日でも、両親は普通に0時を回る前に就寝していた。成人式に対してもなんで成人したどうかを国に決められにゃならんのだというスタンスだったし。クリスマスや誕生日を祝うイベントも早めになくなった。
とにかく、社会の共同幻想に全然のっからないノリのわるいおうちだった。

私はといえば、クリスマスや年末年始で町が浮かれる雰囲気は、とても好き。だけど大晦日はちょっと苦手で、1年という区切りを強制的にシャットダウンされてしまうのがつらくて目を背けたくなってしまう。やっぱり毎年できなかったことばかりだらけだし。そもそも、1年365日なんて区切りを勝手に決めないでほしい!人間の勝手すぎる!猫は正月とか意識してないし!という、わがままから、なるだけ普段通りに過ごそうと努力してしまう。そんなわけで、アニメーションつくりをつづけていた。それについては、また次の日記で書こうかな。

30日は、富士見町の近所のうどん屋さん「やまゆり」にて、ジム・オルークさん、石橋英子さん、山本達久さんによるバンド、『カフカ鼾』のライブがあった。「やまゆり」は「悪は存在しない」(監督:濱口竜介)にも出てくる、古民家のうどん屋さん。そんないい場所でいい音を浴びさせてもらって、とても気持ちが良かった。富士見町という小さな町だけど、色んなところで素敵なイベントを企画をしてくれてほんとにハッピーだ。
そのあとは、信濃境駅というしずかーな駅に最近できたカラオケスナックに富士見町の酔っ払った人たちが次々にあつまって大忘年カラオケ大会となった。

31日は、朝からずっとBlenderをいじっていて、夕方からは富士見に残っているみんながおうちに集まって、紅白をみながら年越し手巻き寿司パーティ。紅白は知らないひとばかりだけど、みんなかっこよくてびっくり。なんだかんだ、けん玉とドミノはめちゃくちゃ盛り上がる。VaundyってバンドじゃなくてVaundyさんなの?アイナさんの紅白もみれてよかった。あと、米津玄師のパフォーマンスがものすごくかっこよかった(ずっと”げんし”だとおもってた)。松田聖子さんの歌声に聴き惚れて、例年通り、紅白の勝敗システムに疑問を呈した。

来年は午年らしくて、そういえば一昨年の12月はジョージアにいて、駅前の露店でたくさんのヘビグッズがあってなにかと思ったら「来年は、巳年だから」って、ジョージアでも干支を使ってるんだ!という驚きと干支って、年末年始以外ほぼつかわないよな、と思ったりした。

みんなが帰ったあとは、自分の中で大晦日感を払拭し、1年という区切りなんかのことを忘れるためにBlenderを触っていた。とても静かな夜で、朝4時くらいまで作業をした。

空手の進級昇段審査の日

長野に移住してから、週1で空手に通っている。日中は基本的に机に向かってるし、田舎だと車移動も多いので、体を動かすのはとても大事。週一、町の公民館の一室で2時間ほど稽古している。基本的には突きなどの基本稽古、型、約束組手なので怪我の心配もなくていい。

最初の頃は見様見真似で、”重心を落とす”という感覚が理解できずに苦労した。どんな風にやったらいいのかを説明してもらおうとしたら、言葉で理解するより身体で覚えるのが大事と嗜められた。実際、感覚的なものは言葉にしても取りこぼしてしまうし、人にはそれぞれの肉体の感覚があるから、自分で感覚を掴む必要がある。そこに気づいてから、自分の重心を意識しながら生活するのが楽しくなった。片足立ちでもブレなく立てる。

アニメーションや絵の参考になると思ってはじめたのも理由のひとつ。体の動きを意識するのは絵を描くときもとても大事。空手は、摺足を用いた重心移動や、抜き足による移動が中心で、これって幽霊みたいにスーって動くということで、予備動作をなるべくなくして打つとか、、、

つまり、次の動きが予測できないような、人間の脳内物理シミュレーションから逸脱した動きこそが武術的な動きの理想で、アニメーションは脳内の物理シミュレーションを納得させないと実在感を宿せないから、あまり参考にならないかもと思ったりもした。

1年に1回進級・昇段審査があって、それが今日で私は茶帯から黒帯(初段)になりました。
やったね!来年もゆっくりがんばります。

「ネタニヤフ調書」「プラハの春 不屈のラジオ報道」

塩尻にある東座という名画座で「ネタニヤフ調書」と「プラハの春 不屈のラジオ報道」の2本立てを鑑賞してきた。どちらも人々の自由を奪う腐敗した権力と、それに立ち向かう人々の物語だ。「ネタニヤフ調書」では、ネタニヤフが政権を持続させるために超極右の政党(とんでもない差別主義者たち!)と手を組む。最近日本でも近い動きがあったと恐ろしい気持ちになる。権力を使ってメディアを押さえつけようとする側が、自由を訴える人間たちと「ファシスト」と呼ぶのはイスラエルでも、60年代のチェコスロバキアでも同じだった。

東座の支配人が、上映前にこれから観る映画の素晴らしさを紹介してくれたのが名画座の特別感があって嬉しかった。後20年はつづけてくれるらしい。田舎の映画館、隣ではポルノ映画がやっている。平日の夜。客は5人ほど。暗闇のなかで物語に入り込む体験はいつだって素晴らしい。いつまでも映画文化が続きますように。そして、私たちが自由でいられますように。

ホラーとやさしさ

ホラー映画のなかにはとにかく、嫌な気分にさせてほっぽりだして終わる作品もある。たしかに恐ろしいのだけど、見終わったあとになんだか困ってしまう。私は、ホラーとは語ることができなかった存在が、語る方法を得る手法の一つととらえているから恐ろしくも優しいものであると思っている。

筋トレ

映画祭で、ひさびさに会った人たちに「太った」と言われてダイエットを始める。筋トレと食事制限。Geminiが自動でトレーニングメニューをつくってくれるのでありがたい。きんにくんのYoutube動画が勉強になる。きんにくんは最近Youtubeを更新してないみたいだけど、どうしたのだろうか?心配。

風呂について

最近は熱いお湯につかるより、ぬるいお湯で時間をかけて芯まで温めるほうが効果があるのでは?というなんの根拠もない理由で、ぬるいお湯が好き。サウナブームのあとはぬる湯、炭酸泉みたいなゆっくり長時間の超リラクゼーションがくると思う。

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