1月11日 午前5時30分。
友人からおすすめしてもらった小説『すべての見えない光』(著:アンソニー・ドーア、ハヤカワepi文庫)を読み終える。
以前、日記にも書いたとおり厚切りパンみたいな文庫本で、全く読み終える自信がなかった。予備知識もなく、あらすじも分からない状態で読みはじめ、700ページもある文庫本を一気に読み終えてしまった。わたしにとっては、結構とんでもないことです。

全てのページを読み終えて本を閉じ、その表紙を眺める。その質量を充分に感じたあとに、少し深めに息を吐きながら、小説の中の景色に思いを馳せる。「読むことができて良かった……」と心の底から思う。10秒後に、これが読後の余韻ってやつか!とハッとする。
小説の舞台は、第二次世界大戦中、ドイツ軍の侵攻が迫るフランス。パリに住む盲目の少女マリー=ロールと、ドイツの孤児院で育ち、科学の才能に長けた少年ヴェルナー。二人の人生の間を行き交うように、物語が進んでいく。
戦争によって奪われていく自由、科学の素晴らしさと、それが否定され人殺しの技術として転用されてしまう世界、絶望のなかにある人々の優しさと裏切り、道端に転がる暴力の数々、抵抗と希望、電波、音楽……。ありとあらゆるものがここには、詰まっていた。
小説は全体を通して、1ページから10ページほどの短い断章の連続で構成されている。「長編小説を読むのは自信がない」という人にとっても、たぶん読みやすい。しかも、その断章の締め方が毎回めちゃくちゃ切れ味がよくて震える。「こんなにかっこいい文章があるか!?」と、うっとりしながら読み進めてしまう。
戦争の物語なので、悲惨で重苦しいものではある。
あるのだけれど、二人の主人公がどのような人生を歩んでいくのかを見届けていくなかで、子供の頃にこっそり聴いた外国のラジオ放送、パリの博物館にある「呪われたダイヤモンド」の行方とそれを追うナチスの上級士官(こいつの怖さの描き方がすごい!)、ヒトラーユーゲントのスパルタ学校で友と生き延びようとする生活、ドイツ軍に占領された街でどうにか抵抗しようとする女性たちの暗躍……といった、ワクワクとハラハラのエンタメ要素がふんだんに盛り込まれている。
そして、それらが「すべての見えない光」というタイトルに収斂されていくのだから、最後の方はもう大変だった!
この本を読み進めている間に、トランプがベネズエラに侵攻し大統領夫妻を拉致し、次はメキシコへ武力行使をすると宣言した。停戦しているはずのイスラエルは、再び(数え切れないほどの「再び」だ)ガザ地区へ空爆を行った。日本政府がイスラエル製の武器を241億円分も購入していたことが分かった(こうして、わたしたちは虐殺に加担した。最悪だ)。イラン全土で反政府デモが拡大し、ネットが切断され、司法当局がデモ参加者を「神の敵」として死刑に値すると表明した。
現実の世界では、もうこれ以上はないだろうという「最悪」が日々更新されている。
小説のなかでは、主人公がパリから避難した街サン・マロもナチスに占領されていく。当たり前だったことが次々に奪われていく。
「マダム、わたしらは危ない目にあいそうでも、ダチョウのように砂に頭を突っ込んでいるのかい? それとも彼らがダチョウなのかい?」
「みんながダチョウなのかもしれないね」 と彼女はつぶやく(同書、p236より引用)
実際のところ、「ダチョウが危険を感じたら、砂に頭だけを隠して、何事もないことにしてやり過ごす」というのは俗説でしかない。それ(オーストリッチ効果)をやるのは、人間だけなのかもしれない。
もう砂から頭を出さないといけない、なにもかも手遅れになる前に。そんなことを考える。
この小説を読み終えるまで、舞台になったサン・マロのことなどを調べたりするのは控えてみた。小説の情報だけで、自分の頭の中に映像を作り込んでみたかったからだ。
これから、映像化されたものを観てみよう。小説を読みながら頭のなかで観ていた景色とどのくらい違うのか、原作をどう映像にしていくのか。そういう楽しみ方をしてみたいと思う。
アンソニー・ドーアは新作『天空の都の物語』が邦訳されたばかりなので、そちらも読んでみたい。
アンソニー・ドーアの公式サイトにQ&Aなどがあって、それがなんだかよかった。